世界は意外とせまい

海外を転々としており、昨年3月からコロナ禍でミャンマーでの娘と子連れ単身赴任を終えて実家に帰ってきました。久しぶりの日本の生活、バイリンガル子育て、日本や世界の時事問題など気になることをつらつらと書いています。

娘の幸せ。娘の教育。

先週末まで、2週間日本に出張があり、娘を置いていくわけにもいかず、一緒に一時帰国をしていました。日本では、ばあばやいとこのお姉ちゃんに遊んでもらったり、公園で新しい友達を作ったりと、ありがたいことに社交的な娘は どこでも勝手に交友関係を築いてそれなりに楽しそうに日本を満喫しているようでした。

 

一時帰国前にミャンマーの長いお休みに当たっていたので、実質3週間以上、学校に行けていなかったのですが、帰ってみると、本当にナチュラルハイ入っているんじゃないのかというくらい毎日楽しそうです。

 

娘は1歳半からモンテッソーリ教育の学校に通っていました。新しい学校が、レッジョエミリア(Reggio Emilia)というイタリアで生まれた幼児教育法のアプローチをとっているくらいは知っていましたが、同じくイタリアで生まれたモンテッソーリ教育とアプローチ的には似ているし、児童中心型教育は、もはや主流になっているのでそれほど気にも留めていませんでした。

 

そして、今日、学校で父兄向けのレッジョエミリアに関する説明会があったので、自分の仕事と娘の教育の両面から興味があり、参加してみました。

 

そこで知ったのですが、レッジョエミリアというのは、戦後のフェミニズム運動から生まれた教育アプローチだそう。

 

戦時中、男たちがみんな戦争に出ている中で、工場をはじめとしたこれまで男性中心だった職場に女性たちが動員されます。それは、イタリアでも同様で、保守的で家庭を守ることが仕事だった女性たちが突如、職場という外の社会で活躍することになります。その後、戦争が終わり、男たちが帰国すると、これまで産業を支えていた女性が、再び家に「押し返される」ことになります。これまで通り家庭に戻って幸せのはずなのに女性たちは言われようもない虚無感に苛まれます。アメリカでも同じ現象が起きて、「名前のない病」と呼ばれました。そこから、女性の社会進出を求める運動がイタリアでも活発化しますが、それを男たちは必死で押し返そうとします。しかし、ムッソリーニ独裁政権を経て敗戦したイタリアでは、そうした社会に屈するというのは、ファシズムに屈することを意味し、女性たちはますます男性中心社会への反発をするようになります。

 

そこで、運動をする女性たちが行き着いたのは、ファシズムに屈しない、自ら意思決定ができる自立した子供達を育てる学校を建てること。そうして生まれたのがレッジョエミリア教育だそうです。

 

レッジョエミリアモンテッソーリは似ているようですが、よくみると多少アプローチが違います。モンテッソーリでは、一つ一つのスキルを様々な遊びや作業を通じて自立と責任感を学ぶという点に焦点が置かれているのに対して、レッジョエミリアはよりアートと本人の自由意志の尊重を中心にしている点が少しアプローチとしては違うかなという気がします。まあ、とはいえ、実施の中ではやっていることはとても似ていますが。

 

up-to-you.me

 

大学でジェンダーを学んだ自分としては、今回図らずも娘がフェミニズムから生まれた学校に通っているというその偶然がなんとも興味深いなと思いました。

 

このアプローチ、Googleやディズニーの付属幼稚園でも適用されているそうです。それもとっても興味深いなと思います。

 

ただし、このアプローチにはまだまだ改良が必要な点があるようです。一つは、カリキュラムが児童の興味に従って作られるため、読解力や数学的思考といった基礎的な知的能力を全ての子供達に身につけさせるためには工夫が必要であること。もちろん、遊びを通じて数学的思考を学ばせる工夫はできるし、実際娘の教室でも実践はしていますが、算数に興味がない子供にどうやって最低限の数学的能力を身につけさせるのかといのは課題になると思います。特に小学校低学年くらいまでは、基礎的能力を身につけさせるための反復練習というのは非常に重要なので、このあたりの反復練習と自主的な学びのバランスは難しそうだなと。

 

課題はあれど、娘が本当に毎日楽しく学校に通っているのは明らかな事実。夫も私も娘の学校にはとっても満足しています。