世界は意外とせまい

海外を転々としており、昨年3月からコロナ禍でミャンマーでの娘と子連れ単身赴任を終えて実家に帰ってきました。久しぶりの日本の生活、バイリンガル子育て、日本や世界の時事問題など気になることをつらつらと書いています。

少し変わった誕生日の祝い方

以前お伝えしましたが、娘が5歳になりました。昨年は、幼稚園やらレジデンスのお友達を呼んで盛大にお祝いしましたが、海外生活あるあるですが、ミャンマー生活も4年目を迎えた今年、一気にお友達が引っ越してミャンマーを去ってしまいました。家でパーティーしても寂しいそうだし、色々迷った挙句、今年は思い切って、お友達を呼んだパーティーは諦めて、少し変わった祝い方にしました。

 

パーティーをする代わりに、その予算を使って、孤児院に寄付をしに行ってきました。

 

私たちが訪問した孤児院は、ヤンゴンから1時間半ほど北に行った町にあるキリスト教系の孤児院で、やはりクリスチャンのナニーから紹介を受けたところでした。前から話は聞いていて、寄付する機会を伺っていたのですが、なんとなくきっかけがなくてそのままになっていました。そこで、今回、ナニー、ドライバーさんの協力を得て、思い切って寄付をしました。

 

事前にナニーを通じて連絡をしてもらって幼稚園から高校生まで23名いるとのことがわかりました。必要なものを聞いてもらったところ、傘が欲しいというので、傘を人数分、それからみんな学校に通ってとのことなので、文房具、お米2袋、料理油2缶、それからお昼をご馳走して、ケーキを持って行きました。

 

孤児院に着くと、2日間雨が降りっぱなしだったので、庭は水浸しでしたが、男女一棟ずつ大きな部屋があってそこでパーティーをしました。行ってみると、孤児院の院長夫妻、小さな子供から高校生までたくさんいた他、近所の女性が数名お手伝いにきてくれていたのと、おそらく教会からのボランティアで若い男性が迎えてくれたほか、院長先生の実の息子さん、その奥さんと生後数ヶ月と思しき赤ちゃんが来ていて、本当に賑やかでした。その後は、教会からのボランティアの男性がギターで誕生日の歌や賛美歌を歌ってくれたり、一緒にケーキやランチを食べたりして過ごしました。

 

f:id:Koalakko:20190819222254j:plain

ミャンマーでは、誕生日の本人が周りにケーキや食事を振る舞うのが一般的です。周りにそうした振る舞いをする代わりに、こうした寄付などの施しをするのもよくあるそうです。

 

きちんとしたパーティーをしてあげられない罪悪感はありましたが、初めは人見知りをしていた娘も、次第に打ち解けて、一生懸命ケーキや傘を配っていました。

 

孤児院の子供達の多くは、カチン州やチン州という少数民族州で、民族紛争で孤児になったり、両親が貧しくて育てられなかったりした子供たちがほとんどだそう。

 

娘には、ここが孤児院であることなどは伝えませんでしたが、もう少し大きくなって理解できるようになったら、教えてあげたいと思います。また、人と何かを共有する喜びを経験から学んでもらえれば良いなと思います。

 

ナニーが自分の誕生日もここで祝いと張り切っていました。私の誕生日もまた、ここで寄付をしたいと思います。