世界は意外とせまい

海外を転々としており、昨年3月からコロナ禍でミャンマーでの娘と子連れ単身赴任を終えて実家に帰ってきました。久しぶりの日本の生活、バイリンガル子育て、日本や世界の時事問題など気になることをつらつらと書いています。

「グローバル人材」とは何か。

ミャンマーでは教育関連のお仕事をしているので、日本の教育関連の方々にお会いする機会が結構あり、とても勉強になるし、刺激を受けます。

 

先月、これもありがたいことに、2週間日本で教育政策や仕組みについて学ぶ機会がありました。私立や公立の小学校、教科書を実際作っている出版社などを広く訪問しました。来年娘を連れて初めて日本で暮らすことになるかもしれないと思うと、日本の教育事情は業務上だけでなく、個人的にも興味津々で、どの訪問先もとても興味深かったです。

 

ただ、訪問先の中で、正直一番説明も中身も面白くなかったのが、文科省でした。教科書編集をプロでやっている出版社のプロフェッショナリズムとは対照的に、文科省は批判的な質問が来ることを恐れてなのか、終始守り体勢で、全然話が広がらない。何より、話している本人たちの生気のなさ。中央省庁ってどこもこんなもんなのかもしれませんが、学習指導要領を作る本当に重要な機関のはずの人たちに誠意も熱意も全く感じられず、日本の教育に一抹の不安を覚えてミャンマー に帰ってきました。

 

そんな中で、昨日、各県の教育委員会の方々とお話しする機会がありました。ほとんどの方が、県の教育委員会にいる指導主事と呼ばれる教育専門官でした。この指導主事、ほとんどの方が優秀な元学校教員で、県内の教員の研修・助言などを行なっているそうです。小学校の頃親が「いい先生はみんな教育委員会に引き抜かれてしまう」とぼやいていたその「優秀な先生」というのがこの指導主事の方々だったんですね。

 

 

この方々、教育行政官向けの海外研修でミャンマー に来たので、学校や日系企業が参入する工業団地などを訪問されたようですが、とてもよい経験になったようです。研修で学んだことなどをお話ししてくださったのですが、その中で皆さんが一様に、「グローバル人材」とはどんな人材なのかを自分なりに理解できたというお話しでした。お上からグローバル人材を育成せよとお上からは言われるが、それは、単に英語ができるとかいう話ではなく、多様性や他者を尊重しながら、相互理解と試行錯誤を繰り返しながら解決策を見つけられる人材だということがわかった、ということでした。

 

それって私が常々思い、最近の風潮に違和感を感じていたことと全く同じことだったので、とても驚き、嬉しく思いました。

 

ちなみに、このグローバル人材だのは、文科省が作る学習指導要領には改訂の目玉の一つになっていますが(その流れで来年度より小学5年生から英語が教科科されています)、それは誤解を恐れず言えば、外国=欧米的な浅はかで無知な「海外」像をまたまた薄っぺらなやり方で無理やりカリキュラムにねじ込めているだけでした。少なくとも文科省のHPを見る限りではそれ以上の深さは全く見られなかったです。

 

日本でグローバル化を考えた時、日系企業が進出しているのはほとんどが東南アジアだし、日本に住む外国人も、中国、フィリピン、ネパールなどのアジア諸国がほとんどです。グローバル化は日本国内でも確実に進んでいるし、だからこそ、たとえ海外に行かなかったとしても、グローバル社会を作り上げることはもはや現代社会を生きるということともはや同義になりつつあるのだと思います。だからこそ、そうした様々なバックグラウンドを持つ人々と生きていき、さらにその人々と新しいものを創造する能力が必要なのだと思います。そうした課題を考えると、グローバル人材に求められる能力が、英語力といった端的なものであるはずは全くないのだと私は思います。

 

個人的には小学5年で英語教育を始めることに対しては賛成しています。英語は世界共通語になりつつあるので、英語を話すことで世界への窓が多く開かれる可能性がある。

英語は海外ででも、外国語を専攻した自分にとって、言葉というのはあくまで手段でああって、それを使って何ができるかが重要なのだということを痛感している。語学ができても、語る中身がなければ意味がないし、相手の話を聞く姿勢を学ばなければ、コミュニケーションは成立しない。

 

私は日本の英語教育の質に問題があるのではく、日本の教育現場では語学という学問だけを教えて、それをどう使うのかという言葉の通じない人との接し方を学んでいないということに問題があるのだと思っています。

 

そんな個人的には疑問点が多くある学習指導要領ですが、それに振り回される現場は大変だなと心配していました。でも、現場で教育を動かしている人たちは、そんな言葉には騙されてはいないというのを知り、少し安心しました。それでも、現場に負担が多くかかっている点は確かに心配ではありますが。そして、安心するとともに、現場の方々は全く文科省などあてにしていないのだと思うとそれはそれでまた不安になりますね。