世界は意外とせまい

海外を転々としており、昨年3月からコロナ禍でミャンマーでの娘と子連れ単身赴任を終えて実家に帰ってきました。久しぶりの日本の生活、バイリンガル子育て、日本や世界の時事問題など気になることをつらつらと書いています。

合唱コンクールが強い学校が良い学校?

我が家は朝はNHKニュースなのですが、今朝のおはよう日本で、ある高校の「サス研」の活動について取り上げていました。サス研とは、サステイナブル研究部の略で、SDGsの達成のための活動を進める部です。ゴミ拾い運動から、古着を集めてワクチンの寄付に貢献したりと色々な活動をしているそうです。部員が少なく、廃部の危機であり、自分たちで考えて、校内イベントを開催して部員の勧誘を行ったり、そのイベントの宣伝も自分たちでやっています。誰に指示されるわけでもなく、自らが考えてやるべきことを選択して活動していて、素晴らしいと思いました。

 

そして、ぼんやり思うこと。

 

部活動って、これが理想的な姿だなと。現在、教員の過酷な長時間労働が問題になっていて、その中でも部活指導が長時間労働の最大の原因の一つとか。私自身、中高とやりたいこともなく、運動も嫌いなのになんとなく運動系の部活に入っていましたが、別にそのスポーツが好きなわけでも体育会系が好きなわけでも(むしろ嫌い)ないので、自分も楽しくないし、きっと指導されていた先生も面白くなかったと思う。最近の部活動の議論の中で、(過去の自分のように)無気力に生きている子供達が街を彷徨くと悪さするかもしれないから、部活と称して放課後学校に引き止めておくという側面があるときいて驚きました。街に出れば悪さすると思っているって、生徒のことを信じていないなと思うし、それに付き合わされて勤務時間外にベビーシッターさせられている教員はやってられないなと。

 

 

部活は完全にボランティアベースでやりたい人がやるのがまず第一原則だと思います。社会に出て、世の中面白いもの、気になるもので溢れていることを知りました。でも、自分も含めてあの時は面白いこと夢中になれるものが見つからなかった。それって、周りにそうしたものがなかったわけではなくて、自分で考えてやりたいことを見つけて、それを実行する方法を知らなかったことが問題なんだと思います。だから、これからの子供達には、そうした夢中になれるものを自分で見つけられる力をつけて欲しいと思います。

 

前置きが長くなりましたが、そこで思い出すのが、数年前に仕事でお邪魔した中学校の先生。その学校は私立大の付属校でした。音響設備が整ったコンサートホールがあり、近郊の公立中学校がホールを借りて合唱コンクールを行っていました。案内してくれた先生が、「合唱コンクールは教育にとってとっても大事。合唱コンクールを見ていると、その学校の状態が分かる。この学校は数年前まで荒れていたけど、今日の歌をきいたら、もうこの学校は大丈夫」とおっしゃっていました。

 

そこで感じた違和感。合唱コンクールは本当にその学校の良さを示すものなのでしょうか?

 

まず、私自身、合唱コンクール大嫌いでした。学校が決めた、学校推薦唱歌みたいな古臭い歌をみんなで歌わされ、連日授業時間や放課後を使って練習させられるこの行為になんの意味があるのか、どうしても納得できなかった。要は、集団で何かをやらされるのが嫌いなんです。そんな合唱コンクールでいい歌を歌う生徒って、教員や親目線で見たら「良い子」かもしれないけれど、本当に自分たちが主体的に歌っているのか、楽しんでいるのかは大変疑問です。

 

今朝、「サス研」の子供たちを見ていて、あの時の違和感がここにあったことにやっと気がつきました。私が思う理想の子供たちの姿は、合唱コンクールで決められた歌を一生懸命歌う集団ではなく、自分でやりたいことを考えて、活動して、自分の周りや社会を変える子供たちなんだと。学校(そして保護者も)の役割は、そうした自分のやりたい方の見つけ方、取り組み方を教えてあげることなんだと思います。それって、教える方にも余裕がないとできない。だから、教員の業務負荷はやっぱり軽減してあげないといけないと思います。

 

といいつつ、娘には色々と習い事をさせてしまっていますが、自戒も含めつつ、どうやったらそうする力を身に付けさせてあげられるかなとぼんやり考えています。