世界は意外とせまい

海外を転々としており、昨年3月からコロナ禍でミャンマーでの娘と子連れ単身赴任を終えて実家に帰ってきました。久しぶりの日本の生活、バイリンガル子育て、日本や世界の時事問題など気になることをつらつらと書いています。

子供に本当に教えなければならないこと。

仕事上ミャンマーの学校を訪れることが良くあります。そこでいつも感心するのが、子供たちが一言も聞き漏らさじとばかりの真剣さとキラキラしたその視線。ミャンマーの教育は問題山積だけれども、子供達の学ぶ姿勢と能力は私が訪れたどの国にも劣らない。それは単に躾が良いというだけでは説明できない、ミャンマーの子供達の強さだと思います。

 

2001年にすでに「千と千尋の神隠し」が放映されて、「無気力な現代っ子」がテーマとして挙げられていましたね。あの映画が出来た時、私はすでに大学生でしたが、「豊かさとは何か」「今の子供に何を与えるべきなのか、あるいは与えないべきなのか」を考えさせられました。これまで色々な途上国で働いた経験から、貧しい国の方が子供はよっぽど生き生きとしているというのが印象で、一体どうしたら先進国でも子供に生き生きとさせてあげられるのだろうかと考えていました。今、子供を持つ母になり、悩み続けている課題の一つです。

 

子供の無気力は何も日本だけではないと思います。私の夫は再婚で、前の結婚で3人の子供がいます。子供達は欧米系の先進国で、小学校から私立のいわゆる超おぼっちゃま・お嬢様に通っていました。勉強も課外活動も充実していて、やろうと思えば色々な可能性を模索できるのに、少なくとも上のお兄ちゃん二人は高校を卒業した後は、大学にも行かず、仕事も適当にぷらぷらしています。夫は、「せっかく高い授業料を払っていい学校に行かせたのに、全くその機会を活用していない怠け者だ」と半分呆れていますが、私はぷらぷらしていること自体は本人の自由なので、好きなように生きれば良いと思いますし、あの子達が怠け者というわけではないと思う。でも、彼らをみていると純粋に何をして良いのか迷っているように思えて辛そうだなと思うこともあります。

 

どうすれば良いんでしょうかね?ものを与えなければ良いのでしょうか。でも、この世の中どうやってもモノは溢れているわけだし、そうしたモノを単純に排除すれば良いと言った単純な問題ではないはずです。習い事だって、習い事自体が悪いわけではないはずだし。そういう我が家も5歳の娘にバレエとバイオリンを習わせていて、今度公文も始めようと思っていますが、習い事を増やすたびに、スケジュールを習い事で埋めてしまうことによって、学びたい気持ちを娘から奪ってしまうのではないかと不安になることもあります。

 

そんなことを考えながら、答えのない日々を送っているところ、今日、ひょんなことから、ミャンマーを80年代から支援しているという77歳のお方とお会いしました。たまたま、同じ部屋で作業をすることになり、自己紹介からその方がミャンマーに携わることになった経緯や、私の仕事のお話をしました。昨今の経済やなぜ日本の生産性が伸びないのかと言った話になり、その後(当然のことですが、笑)話は戦後の日本やそのまた昔の明治時代の歴史の話になりました。ここで歴史の話の内容は割愛しますが、日露戦争に参戦した兵士は皆、なぜ自分が戦うのか、戦って何をしたいのかということを明確に理解していた。その頃の日本人の強さは、一人一人が目的を持って仕事や勉学に望んでいたことだと。教育は、そうした哲学や思想をきちんと教えないといけないと。そんなお話でした。

 

そのお話を聞いたときに、ハッとしました。無気力の原因は、子供たちが自分がこの世界にいる意義を見出せないからなのではないかと。彼らの世界観の中に「自己」というものが失われて、社会に飲み込まれてぼんやり霞んでしまっているからではないかと。それは、社会が設定する価値観に身を委ねて、何を自分はしたいのか、できるのか、するべきなのかという考えが生まれないようになってしまっていることが問題なんじゃないかと。そして、そうした世界観を形作っているのは大人であり、それを押し付けているのも大人の責任です。

 

私は、現代の教育は洗練されており、その中から何を切り取って与えるべきなのかという視点でものを考えている節があることにも気がつきました。でもそうではなくて、今の教育は「与えすぎ」なのではなくて、薄っぺらのスキルを教えているけれども、それを使って何をするのかという「自己」の土台となる哲学や思想をきちんと教えていないのかもしれないと。

 

じゃあ、どうやって「自己」を育てるのか。それがこれからの自分への課題になると思います。どうやって彼らなりの自分を見出していけるのかを一緒に考えていけたらいいなと。

 

でも、もしかしたらもっと単純なことなのかもしれないとも思います。子供の世界観を変えるには、大人が変わらなければいけない。私たち大人一人一人が自己を見出して、自分なりの生きがいを持って生きることができれば、子供というのは意外と教えなくとも勝手に自分で学び、育ってくれるものなのかもしれません。

 

そんなことを考えながら、ブログを書いたらよも更けてきました。もう寝ます。おやすみなさい。

 

以上、長文で誰も読まないだろうと思いつつ、ブログにしてみました。